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イドリース1世 (イドリース朝) : ミニ英和和英辞書
イドリース1世 (イドリース朝)[いどりーす ぶん あぶど あっらーふ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

イドリース1世 (イドリース朝) : ウィキペディア日本語版
イドリース1世 (イドリース朝)[いどりーす ぶん あぶど あっらーふ]
イドリース1世(イドリース・ブン・アブド・アッラーフ、? - 793年〔『西アジア史 1』 佐藤次高編、山川出版社〈新版世界各国史〉、2002年、付録、索引、p.4〕)は、モロッコを支配したイドリース朝の始祖(在位:789年私市 (2002)、p.201〕 - 793年〔)で、最後の正統カリフであるアリーの子・ハサンの末裔であった〔。
イドリース1世は、アッバース朝ハールーン=アッラシードカリフであった786年に、メッカ近郊での正統カリフアリー派の反乱(ファフの戦い)で、反乱軍に参加していた〔。しかし、この戦いに敗れ、そのため鎮圧されるとイドリース1世はエジプトを経て、当時アッバース朝支配下にあったモロッコへ逃亡し、ワリーラ(メクネス付近)に落ち延びた〔。そこでベルベル人アウラバ族に受け入れられ、789年に宗教的・政治的指導者として認められ、さらに近隣のベルベル人諸部族からも認められて、正式にイドリース朝を建国した〔。
ベルベル人の支持により、中部モロッコのタドラを支配し、さらに790年にはトレムセン地方に進出して勢力を拡大した〔。そのため793年にハールーン=アッラシードによって送られた刺客により毒殺された〔。その跡を子のイドリース2世が継いだ〔私市 (2002)、pp.201-202.〕。
== 脚注 ==

=== 注釈 ===


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イドリース1世 (イドリース朝)」の詳細全文を読む




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